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樋口一葉のこと

  • anc05825
  • 2014年7月12日
  • 読了時間: 4分

5000円札の一葉を、この年になってきちんと読めたのはよかったと思う。

思うことをいくつか。

1.「境界」のひと

 ①階層の境界

 一葉の父は山梨の元農民の下級武士で、一葉自身の学歴は小学校のみ。父の死後には借金にまみれながら吉原遊廓近くの「貧民街」竜泉寺での「乞食相手の荒物屋」、私娼の女性たちのための代筆屋などをする。一方で、16歳のときから住み込みで学んでいた「萩の舎」では、、華族や皇族を含め明治の上層階級の女性たちとともに学んだ。

       「『一葉は垣間見ではあるけれども明治のトップを知っている。それから明

       治のいちばんどん底のところも知っている』(前田愛)わけで、これが一葉

       の財産になった」(井上1992)

 ②たとえば『たけくらべ』の三五郎の越境

 三五郎は、千束神社夏祭りでのケンカの犠牲者であり、もうひとりの犠牲者の美登利と同じ非定住民。

 ケンカに負けて大泣きして悔しがったにもかかわらず、痛みを忘れる頃には、いじめの張本人の長吉の家の赤ちゃんのお守りをして「二銭が駄賃をうれしがり、ねんねんよ、おころりよ、と背負いあるくさま、年はと問えば生意気盛りの十六にもなりながらその図体を恥ずかしげにもなく、表町へものこのこ出かけるに、いつも美登利と正太が嬲りものになって、お前は性根をどこへ置いてきたとからかわれながらも遊びの仲間は外れざりき」(10章)

  定職も、学力も、腕力も、おかねも、後ろ盾も何も持っていない三五郎、しかし、やすやすと越境する身軽さ、こだわりのなさ、周囲にふりまく笑い、自由さ ⇒ さまざまな対立や争いを「溶かす」可能性としての、境界者のユーモア。

2.ナショナリズム形成期(明治20年代・1890年代)の福澤的「立身出世主義」との隔たり

 明治20年代の児童文学の課題は、明治国家第2世代の構成員の育成だった。

  たとえば、「荒唐無稽の小説の西遊記などはひもときたまわで、その代々に光輝を添えし賢哲大人豪傑の身の上に叙したる虚妄ならぬ書を読み」幸田露伴

 子どもの遊びも鍛錬や訓練が中心で、なんとも近代功利主義的。

 また、文部省唱歌「あしたに起きて山に柴刈り、草鞋作りて夜は更くるまで、路行く暇も書を放たず」というのは、禁欲的に努力する二宮尊徳がモデル。

 地方の村社会の底辺から天皇制国家の頂点を目指し上昇していくイメージ。これは一葉の父と母も持っていて、「頂点」まではいかないが、実現しようとした価値観。したがって、一葉自身にも、こうした「立身出世主義」はあったのだと思う。

  これに対して、『たけくらべ』の子どもたちの閉鎖性、視野の狭さ。天下国家のこと、立身出世のことなど何も考えず、遊びのための遊び。なんの疑いもなく、家業を継ぐ子どもたち。それも、ある「自由」。

 一葉は、日清戦争(明治27~8(1894~5))という大きな出来事の裏側の社会の実相を、福澤的「立身出世主義」への反発を込めて描きたかったのか。

 そして、一葉自身も両親から受け継いだ福澤的「立身出世主義」的価値観を持ちつつ、しかし彼女は一方で、新しく、自由で、進歩的な価値観も持っていた。この点も、一葉が「境界のひと」であることの一面であり、だからこそ、閉塞感やあるルサンチマンのなかで、彼女は苦しんだのではないか。

3.文体のこと

 一葉が有名でありながら若い人たちにあまり読まれにくいのは、やはり「読みにくさ」からだと思う。

 今、わたしたちが使う「国語」「標準語」とは、違うのだ。明治20年代以降、ドイツ帰りの上田万年、保科孝一らがナショナリズム形成期に欠かせないアイテムとして作り出した「国語」(「日本語は日本人の精神的血液」上田)とは違う日本語を、一葉は使っていた。

 だから、文体の点でも、一葉は「境界のひと」と言える。

 二葉亭四迷が言文一致体で『浮雲』を書き、森鴎外が擬古文で『舞姫』を書いたあとの一葉は、文壇の動静を探りながら独自の文体を作り出していった。

職業作家としての「気迫」(萩原2007)、表現形式の「強気の勝負」(和田1952)

「西鶴以降明治までの収穫を取り入れ、漢文体、ほとんど死語化していた平安時代の文法による擬古文、さまざまな和漢混合文体、江戸中期以降の口語文体、欧文直訳体、明治時代の人びとが使っている口語、俗語の類(たぐい)それに明治前期の女性感覚を全部この雅俗折衷体にぶち込んだ」「日本人がつくり上げてきた文章のあらゆるいいところを全部あの人がまとめ、すべてを総括した文体をつくり出しました」(井上2003)

そして、須賀敦子は「ある期間、わたしは一葉をまねて、しまいには文語調で文章をつづる練習をひとり重ねてみたりした。つぎつぎと作品を読んで、作者が女であることにも、わたしはしんみりさせられた。名ばかりの女性解放は叫ばれても、社会的にも、わたし個人のまえにも、女が歩く道はとざされていた」(一葉の辛抱)と書く。

 
 
 

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