パリで先生が殺されたこと 2020.10.18
- anc05825
- 2020年10月21日
- 読了時間: 3分
犯人は、イスラム教徒の18歳男子だった。 「アラーアクバル」と叫んで、犯人も警官に射殺された。
殺された教員は、数週間前の授業で表現の自由を取り上げた。 イスラム教徒の生徒に手をあげるように言い、教室から出ていってもいいと指示した。 そして、預言者ムハンマドが裸でしゃがみ込み、尻から星を出している「風刺画」を生徒たちに見せたという。
この事件に対してマクロン大統領は、「国民のひとりが表現の自由を教えたために殺された」と言い、シャルリーエブドがムハンマドの風刺画を再掲載した直後も「フランスには冒涜の自由がある」と述べたという。
やりきれない思いが乱れて、気持ちが定まらない。
前期の留学生向けの遠隔授業では、15週の最後の3週ほど、わたしも「表現の自由」をテーマにした。 昨年2019年夏のあいちトリエンナーレでの、特に「表現の不自由展」をめぐる話題で、朝日新聞と産経新聞の社説を読み、ディスカッションのあとに意見文を書くという数回の授業。 実は、あまりうまくいかなかった。 そのコースの前半は、「なぜ大学で学ぶのか」や「日本のイルカ漁の是非」など、比較的わかりやすい?テーマと、そして読解文そのものが留学生たちの日本語運用力に適していたということもあるのだけれど、グループワークも盛り上がり成果物の意見文(小レポート)も充実したものができ上っていた。
しかし、最後のテーマ「表現の自由:あいちトリエンナーレから」は、うまくいかなかった。 どうしてうまくいかなかったのか。 ① 映像見せたりしたのだけど、あいちトリエンナーレの話題を誰も知らず留学生にバックグラウンドがなかったこと。 ② ①とも連動するのだが、やはり社説の日本語がむずかしすぎたこと。 ③ あと、学生たち、あまり触れたくなかったのかもしれない、表現の自由の話題そのものに、とも思う。 ①と②は、教員の責任。 もっと、何とかできた。導入をしっかりやる、リライトする、とか。
③は、たしかにあった。
たとえば、香港の問題とか、あるいは『武漢日記』とかのこともあり、中国人学生たちはお互い同士でも、他国からの学生とでも、話したくないテーマだったのかもしれない。 わたしは、あいちトリエンナーレで問題になった「燃やされた天皇の像」の動画や「少女像」の写真を、学生たちに見せた。
おそらく、日本人学生含めてイヤだなと思った学生もいたんだろうと思う。 けれども、あの時点でわたしには躊躇がなかったと思う。 そこから考えてほしいと、強く思ったから。 しかし、ムハンマドの風刺画を、わたしは授業では見せない。
どうしてだろう。
ここに整合がつかない、自分のなかで。 自分が「日本人」だから、あいトレの「自虐的」?な作品は授業で使えるのだろうか。 自分がイスラム教徒ではないから、ムハンマドの風刺画は見せられないのだろうか。
これからも、「表現の自由」の問題については、学生たちと考え続けたい。 しかし・・・とも思う。 どうしたらいいんだろう、と思う。
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