『STONER』 『ストーナー』 ジョン・ウィリアムズ
- anc05825
- 2014年11月23日
- 読了時間: 4分
この週末は東京にいる予定だったのだけれど、ハプニング(仇敵ぎっくり腰)でぽっかりひとりで過ごすことになった。
アメリカ中部、19世紀終わり貧農の両親のもとに生まれたウィリアム・ストーナーが、学び働き教え、愛し、病み死んでゆく、静かな物語。
農学のために入学したミズーリ大学で英文学に出会い、図書館の何万冊もの本を収めた書庫の匂いを「異国の香のようにむさぼり嗅」ぎ、その登場人物たちとストーナーは生涯の濃密な関係を結ぶ。
学位を得、一冊の著書を書き、母校で英文学と英作文を教え、結婚し、美しい娘を得る。
第一次対戦で親友を失い、第二次対戦では娘婿を失った。
妻との結婚生活は愛情に満ちたものにはできなかったけれど、ストーナーは美しく狂おしく愛おしい時間も得た。
そして、思うのだ。
「ストーナーは今、向き合う手立てがないほどの破壊力を持つ、ある単純な問いに、次第に次第に強く苛まれる年齢に差し掛かっていた。ふとした折々に、自分の人生は生きるに値するものだろうか、値したことがあっただろうか、と自問した。すべての人間が遭遇する問だと思えたが、その問の普遍的な力を感じ取れるものが果たしてどれくらいいるのか。この問がもたらす悲しみは、ストーナー自身や個人的な運命とはほとんど関わりのない普遍的な悲しみだ。そもそもそれが最も身近で明らかな源から、つまり自分の人生に訪れた変化から湧きおこったものかどうかも定かではなかった。それは歳月の集積から、宿命的な偶然と状況から、そしてそういうもろもろに対する自分の理解から生じたものだ、とストーナーは確信した。どうにか手にしたなけなしの学識がひとつの諦念の引き寄せた可能性に思い至り、皮肉で複雑な喜びを覚えた。その諦念とは、長い目で見れば、よりどころとなる学識まで含めて全てのものが、はかなく空虚で、いずれは永劫不変の無の中に消えていくというものだった」p211
老い、病を得、鎮静剤にうつろになりながら思うのは、仕事のことでもある。
「ストーナーは教師であることを求め、その願いを叶えたものの、人生のあらかた、自分が凡庸な教師だったことに思い至って、それはまた、前々からわかっていたことでもあるような気がした。高潔にして、一点の曇もない純粋な生き方を夢見ていたが、得られたのは妥協と雑多な些事に煩わされる日常だけだった。知恵を授かりながら、長い年月の果てに、それはすっかり枯れてしまった。ほかには、とストーナーは自問した。ほかに何があった? 自分は何を期待していたのだろう」p324
そして、もう一度、何を期待していたのかと問う。
「夏風に運ばれてきたかのように、歓喜の情が押し寄せてくる。挫折について-ーそれが貴重な意味を持つかのように-ー考えていたことをうっすら思い出した。いまはそのような考察が、自分の生涯にふさわしくない、つまらないものに思える。意識のヘリにぼんやりとした影がいくつも集まっていた。姿は見えないが確かにそこに存在し、次第に力を増して、見ることも聞くこともできないが、はっきりした形を取ろうとしていることはわかった。自分がそこへ近づこうとしていることも。しかし、急ぐ必要はない。無視したければそうしてもよい。時間はいくらでもあるのだから」p326
最期は自著を手に取る。
「この自著が忘れ去られて久しいこと、なんの役にも立たなかったことは、もうどうでもよかった。いつの時代であろうと、この本に価値があるかどうかは些末なことだ。古びた印刷物の中に自分を見いだせるとも思っていなかった。しかし、自分のごく一部が確かにそこにあること、これからも存在し続けることは否定できない」p327
最期のとき、「ああ、いい人生だった」と言って逝くひとは多いのだと思う。
今年三回忌を終えたわたしの父も、母に手を取られ、「いい人生だった」とぼんやりとでも思って逝ったのだと考えていた。
ストーナーは、どうだったか。
世間の価値観では「勝ち組」の人生ではない。
出世もせず、同僚との人間関係もうまくいかず、美しい娘は未婚で妊娠 しアル中になり、妻からはヨーロッパにも連れて行ってもらえないと言ってほとんど憎 まれ、親の期待(農業を継いでほしい)を裏切ったにしては専門分野で多くの研究成果を残せず、退職勧告を無視して教え続け、心から愛した女性とは永遠に別れなければならなかった。
それでも、ただ誠実に、できる限りの精一杯で生ききった自分の人生を、十分ではない かもしれないけれど「ま、こんなもんだよね。まずまずだったよね」と思って、ストー ナーは、神と、父と母のもとへ旅立っていったのだ。
そう考えると、父もまた、「いい人生だった」と大満足して逝ったと思いたいのはわた しのほうで、「それほど単純じゃないけどね、ま、まずまずってとこか?」とかなんと か思って、母に手を握られながら「じゃ、またな!」って感じで天国に行ったのだと思 い直した。
秋の終わり、時間が経つのがあまりにも早くて、ストーナーの人生を読みながら、ではわたし自身は自分の人生に何を期待するのだろうと問うてみようかと思ったけれど、お腹もすいたからとりあえず今はやめることにした。
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