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苗字が先か、名前が先か

  • anc05825
  • 2016年2月29日
  • 読了時間: 4分

三鷹の古本屋の100円均一の箱をのぞいたら、杉本良夫『「日本人」をやめられますか』があったので買った。

以前に読んだけれど、三鷹と新潟と新発田の本棚のうちのどこにあるのかわからなくなってしまっているため。

そのなかに「「民族文化」と「姓名順序論争」」という章があり、自分の名前をアルファベットで表記するときの気持ちを再考した。

わたしはおそらく15年ほど前から「ARITA Kayoko」と自分の名前を書いているのだけれど、杉本氏によれば、この書き方には「日本の民族ナショナリズムの高揚」や「文化相対主義」の影響があるのだという。

つまり、「名・姓」方式(中学の教科書で習ったときから、「Kayoko Arita」が当然のこととして使う)という習慣は、「欧米中心主義への追従であり、日本の様式を国際舞台でも主張して、民族文化間の力関係の均衡を取り戻そうという考え」(p83)だそうだ。

おもしろくて納得したのは、欧米文化とほとんど接触のない人は慣行通り「名・姓」主義、少し接触のある人の一部は「姓・名」派に移行し(わたしはココかな?)、連日緊密に接触している人たちは「名・姓」方式が多いということ。

そして、欧米社会に長期に滞在している人たちは、「均衡合理性」より「伝達合理性」を先行させなければ、日常生活が成り立たないということ。

また、現代の日本社会の、個人のアイデンティティを苗字に求める習慣は、明治以降の家族制度や戸籍制度の確立と相関してできてきた新しい「文化」で、決して「伝統的」なことではないとも。

杉本氏自身、この問題について3段階を経てきたという。何も考えずに「名・姓」順だった時代。次には、民族文化間の相対主義に共鳴して「スギモト・ヨシオ」で押し通した時代。このころには「ヨシオ」を苗字と間違えられて、航空便紛失事件や「プロフェッサー・ヨシオ」探しなど、さまざまな騒ぎがあったそうだ。

そうしているうちに、杉本氏は日本式の「姓・名」順でオーストラリアで生活していくことは、実は鼻持ちならない「インテリのエリート主義」であることに気付いたという。

世界中の郵便屋さんや電話交換手などのすべての人々が、どの民族の名前の表し方がどうなっているのかを知っているはずはなく、日本の「進歩的とかリベラルだと言われている教養人」が「日本式を外国の人たちにも強要しようとするとき」「普通の人たちの日常生活の苦労を知らない選良的な視点が、その背後にある」というわけである。

そうして杉本氏は、「名・姓」派へ再転向する。

結局は、個人のアイデンティティは随時変わっていくもので、一生変化しないようなものではないのだから、名前についてもそのときどきで好きなように便利なように変えていけばいいんじゃないか、という結論。

わたしも概ね賛成した。 アイデンティティは、一つじゃないし、不変でもないし、そのときどきでくるくる変わっていくものでもある。

名前については、昔のわたしは「創氏改名」のことを思ってか、かたくなに『変えてはいけない」と思っていて、アデレードにいる頃に香港人が自分の名前をキャシーとかジミーとか欧米風につけることを、どこか「いやだなあ」とも思っていた。

それはやはり、白人文化への追従だと感じていたからだろうか。 ベトナムでは、みんな「名前」で呼び合うのが自然だ。 先生でも、「トアン先生」、「リー先生」というのは、日本人でいえば「太郎先生」「ミチコ先生」と学生たちから呼ばれるのが自然なのだから、今の職場でアメリカ人の先生たちが「ジョイ先生」「アンドリュー先生」と呼ばれることと同じなのだ。

そうしたベトナムの習慣が、欧米文化の追従だとは言えない。 ただ、わたしとしては、学生たちから「佳代子先生」と呼ばれることは、びみょうに恥ずかしいから避けたい。 サイゴンにいるころも、わたしだけは苗字で「コーアリタ(アリタ先生)」と呼ばれていたものだ。

(アデレードにいるころは学生だったから、「カヨコ」で構わなかったのだけれど・・・)

それで、じゃ、今、わたしは自分の名前の表記をどうするかというとだけれども、当面はこのままにしようかな。

ただ、「かたくなさ」はかなり軽減した。 わたしも、時宜に合わせて、くるくる変えてしまおうと思う。

 
 
 

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