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留学生の「キャリア形成」 (と日本語教育)

  • anc05825
  • 2014年11月10日
  • 読了時間: 3分

日本の企業文化に合わせた/合わせられるような学生の力を養成することが必要なのか。それとも、もっと「イノベィティブ」な、停滞した日本企業に変革を生み出すような学生の力の養成を目指すのか。

この疑問は基調低音として、多くの参加者が共有していたと思います。

「キャラ」ということばが頻繁に出てきましたが、就職活動にしても企業に入ってからにしても、「キャラ」で行くのか、それとも「自分そのもの」で行くのか、というふうな議論でした。

あるいは、夢を追わせるのか、それとも現実とリスクヘッジをしっかり認識させるのかという議論もありました。

こうした教師の葛藤は、日本語教育・留学生教育に限らない、すべての教育に共通する「ジレンマ」と言えると思います。

そもそも教育の役割が、「社会に適応する人材育成」と「社会をよりよく変える人材育成」という、ふたつのベクトルの矛盾した目的を持っているのだから。

そのなかでわたしたちは、「どちらも」やらざるをえない。

わたし自身も現実的に、N1絶対合格!を目指す学生たちからのニーズ、大学の就職関連部署からの「就職活動に向けた日本語力育成」ニーズは無視することはできません。

受かってほしい、就職活動を成功させてほしいと、心から思います。

そう思いながら、N1の問題集を時間を区切ってガシガシやらせる授業をしています。

一方で、自分のアイデンティティ交渉(自分ってなにがやりたいのか、なにができるのか、なにを目指すべきなのか、自分にはなにが大切なのか)のなかで、働くことそのものをじっくり考えられるような時間を、授業の仕掛けとして作りたい。

どちらかへの傾きはあったとしても、これは、両方やらざるをえないですよね、むずかしいけれども。

研究会の会場内で、こうした認識は概ね共有していたように思いました。

だから、新潟からはるばる行って、よかったと思いました。

そして、特に心に残ったのは、次のふたつです。

①求められる「日本企業文化の体得」にしても「グローバル人材育成」にしても、ことば自体はみんなわかったようなふりして使っているけれど、結局は使っている人たち同士の交渉のなかでみんなで意味を作っていっているのだから、ガッツリ縛られる必要はなくて、したたかに「ズラシ」て行こうよということ。

②わたしたち教師は、学生たちに対して就職向けの「社会適応」訓練はせざるをえないけれども、一方で、それと同時に、企業に向けても(日本社会に向けても)、「このままでは外国人といっしょにこの社会は作っていけないから、なんとか変わりましょうよ、わたしたちのほうも」というような働きかけをしていかなければならないということ。

とても共感しました。

では具体的に、どう「ズラシ」ていくのか、どう働きかけていくのか、という方法論については、それぞれの教師、それぞれの現場での個別具体的な状況に委ねられていて、ヒントはもらいながら、自分自身の毎日のなかで探り、手繰り寄せていくしかないのだろうと思いました。

 
 
 

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