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ファービアン

  • anc05825
  • 2015年2月17日
  • 読了時間: 2分

2015年も50日過ぎたのだった。

年賀状に「当面の目標はブログ更新」と書いたにもかかわらず、今年初めて。

いろいろなことがあった。

いろいろなことがあった。

1月7日にパリの新聞社やユダヤ系スーパーが襲撃され、15人の人たちが死んでしまった。

新聞では連日大きく報道された。

ふと気が付いたのは、数日後の国際面だった。

シリアでの戦闘で50人近い民間人が死亡したという、小さい記事。

命の重さが違うのだと、思った。

そして、ケストナーの『ファービアン あるモラリストの物語』の、第3章「カルカッタに14名の死者が出たということ」を思い出した。

そのとき手元に本がなく、わたしは、ファービアンが、友人のつとめる新聞社の紙面のなかのインド人犠牲者の命の不当な軽さを糾弾したのだと思っていた。

しかし、よく読んでみると、少し違っていた。

新人記者イルガンクが予定外の社説修正で5行分紙面が空いてしまったと困っているのだが、ファービアンの友人の、新聞社政治部長ミュンツァーが「カルカッタでは回教徒とインド人の間に市街戦が行われ、間もなく警察に鎮圧されたが、このため14人の死者と22人の負傷者が出た。秩序は完全に回復された」というでっち上げの記事を書くのだ。

ファービアンが「いったい君はそんなに無造作にカルカッタのインド人を殺したり、病院へ送り込んだりして構わないのかい」と聞くと、ミュンツァーは次のように言う。

「仕様がないじゃないか!いったいなんだってそんなに同情することがあるんだい、彼らは生きてるんだぜ、36人とも全部ピンピンしているんだぜ。だって、考えてみたまえ、われわれが削除するニュースに比べれば、でっち上げたニュースのほうがはるかに無害だぜ」

「世論を動かすには論説よりもニュースのほうがそりゃ有効さ。だがしかしだね、最も有効なのは論説もニュースも書かないことだよ。世論ほど扱いやすいものはないよ、一番気楽な世論は依然として意見を持たない世論さ」 ワイマール時代の1920年代ドイツの物語。

 
 
 

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